世界中で多くの人々に愛され、毎日の生活と切り離せない飲み物となっているコーヒー。皆さんの中にも、「コーヒーを飲まないと1日が始まらない」という人は多いと思います。
しかし、コーヒーがいつ発見され、どのように広まったのか、考えたこともない人がほとんどではないでしょうか。
本記事では、コーヒー豆の発見から現代に至るまでのコーヒーの歴史、そしてコーヒー産業が直面する課題まで、コーヒーについて深く探求していきます。
コーヒーに秘められた壮大な歴史を知ることで、もっとコーヒーが楽しくなります!
- 日本安全食料料理協会(JSFCA)認定
コーヒーソムリエ - 日本技能開発協会(JSADA)認定
コーヒープロフェッショナル - 年間2,500杯分以上コーヒーを
淹れる人
- 日本安全食料料理協会(JSFCA)認定
コーヒーソムリエ - 日本技能開発協会(JSADA)認定
コーヒープロフェッショナル - 年間2,500杯分以上コーヒーを淹れる人
コーヒーの起源
単なる飲み物としての役割を超え、日々の生活に彩りを与えてくれる存在となったコーヒー。その起源はなんと、今から千年以上も前に遡ります。
コーヒー発見の物語「カルディの伝説」
エチオピアの若い羊飼いカルディは、羊が赤い実を食べたあと、異常に活発になるのを見つけました。さらにその後、カルディ自身もその実を試したところ、とても陽気な気分になりました。
この物語は、コーヒー発見の象徴的な逸話としてよく知られるカルディの伝説です。コーヒー文化の広がりとともに、さまざまな形で語り継がれてきました。大手コーヒーチェーン「KALDI」の由来ともなっています。
また、古代エチオピアでは戦闘の際、コーヒーの実を携帯していたとも言われています。コーヒーの実を食べると気分が高揚するため、現代の”エナジードリンク”のような効果を期待していたものと考えられます。
こうした言い伝えがエチオピア西南部にあるため、エチオピアが「コーヒー発祥の地」として認識されています。
コーヒーに関する最古の記録は9世紀頃
しかし、これらの物語の真実性を裏付ける直接的な文献記録は存在しません。エチオピア西南部の当時の社会には文字文化がなく、これらは口承で伝えられてきたと考えられます。
実際にコーヒーに関する記録が出てくるのは、9世紀(西暦800年)頃のことです。この時期、キリスト教徒やイスラム教徒がエチオピア西南部に進出し、彼らの記録にコーヒーの存在が記されています。これらの記録は、コーヒーが地域社会、そして世界に与えた影響をうかがい知ることができる貴重な資料となっています。
コーヒーの世界的な広がり
コーヒーの発展には、その魅力的な風味だけでなく、地域ごとの文化や歴史的な背景も大いに関係しています。コーヒーが各地へ伝播していく様子について、深く見ていきます。
エチオピアからイエメンへ
エチオピア西南部が原産のコーヒーは、14~15世紀頃にイエメンに渡ります。イエメンのスーフィー(イスラム教の神秘主義者)が徹夜で祈りを捧げる儀式の際にコーヒーを飲用したこともあり、広く普及していきました。
その後しばらくの間、コーヒー栽培の中心地はイエメンでした。この地域で栽培されたコーヒーは「モカ」の名で知られ、独特の風味で世界中のコーヒー愛好家を魅了しました。
モカの名前は、当時の輸出拠点である「モカ港」が由来。しかし、1869年のスエズ運河開通とともに閉鎖されています。
オスマン帝国を経由してヨーロッパへ
16世紀に入ると、コーヒーはオスマン帝国に伝わります。イエメンがオスマン帝国の配下になったタイミングで、コーヒーの普及が加速しました。
オスマン帝国の首都イスタンブールでは、16世紀半ばにコーヒーハウスの原型(カフェハネ)が登場します。社交の場であるカフェハネで提供されるコーヒーは、次第に存在感を増していきました。
多様な分野の知識人が集い、コーヒーを飲みながら議論を行う情報交換の中心地。16世紀のイスタンブールで開業したカフェハネを原型とし、現代のカフェに通じる文化。
17世紀になると、コーヒーはオスマン帝国に訪れた商人や旅行者によりヨーロッパにも伝わり、急速に広まります。
コーヒーとともに”コーヒーハウス文化”もヨーロッパに伝わり、多くの国でコーヒーハウスやカフェが生まれました。商人や知識人によって社会的な議論の場として利用され、ヨーロッパにおいても文化的な中心地となりました。
18世紀に起こったフランス革命の発端は、カフェで交わされた政治討論だと言われています。
植民地での生産をきっかけに世界中へ拡大
17世紀末以降、植民地での生産を目指す国が現れます。オランダ、フランス、そしてポルトガルがもたらした影響は大きく、コーヒーの生産と貿易は世界的な規模に拡大。特に、ヨーロッパやアメリカ大陸での消費が増加していきます。
オランダによるコーヒー栽培の拡大
17世紀末、植民地であるインドネシアのジャワ島でコーヒー栽培を始めました。18世紀前半(1715年頃)にはモカを凌ぐ産地となるほどの急成長を遂げ、世界市場での地位を確立しました。
フランスのコーヒー栽培への貢献
18世紀前半、植民地であるカリブ海のハイチやグアドループ、そしてマルティニーク島にコーヒーが伝わりました。その中でも、特にハイチでは急速に生産量を増やし、18世紀後半には世界最大の生産地となりました。
ポルトガルがブラジルのコーヒー産業を育成
1727年、当時の植民地であったブラジルにコーヒーが持ち込まれました。一説には、計画的にフランス領から密輸したとも言われています。
ブラジルはコーヒー生産に適した気候で、なおかつ広大な土地が広がっています。19世紀には世界最大の生産国となって以降、現在でもダントツの生産量・輸出量を誇っています。
現代におけるコーヒーの普及
世界的なコーヒー需要の増加や大量焙煎を可能にした技術革新、鉄道網の発達による流通の促進などにより、19世紀以降、コーヒーのさらなる普及と大量消費が一気に進みました。
2000年代に入ると、これまでの普及・拡大という路線とは別の歩みを進めます。豆の個性や品質にこだわったスペシャルティコーヒーの台頭、サステナビリティへの関心の高まりなど、コーヒー文化は多様な価値観が共存する新しいフェーズに突入しました。
世界各地のコーヒー文化
コーヒーは、18世紀頃からヨーロッパ各国の植民地で栽培がはじめられ、世界中に広まりました。そして、それぞれの地域で、それぞれの伝統や歴史と混ざり合いながら、多様で豊かなコーヒー文化が根付いています。
無形文化遺産にも登録される「トルココーヒーの文化と伝統」
トルココーヒーは、銅や真鍮でできた「ジェズヴェ」と呼ばれる伝統的なポットに、細かく挽いた豆と砂糖、そして水を入れて煮立たせます。
ゲストをもてなす際に欠かせない飲み物であり、社交の場に欠かせない存在。飲み終わった後、コーヒー粉の残り方で運勢を占う習慣もあり、生活に深く浸透しています。
また、16世紀の早い段階でイスタンブールにコーヒーが持ち込まれ、コーヒーハウスの原型となる「カフェハネ」が開業しています。イスラム社会ではアルコールが禁止されていたこともあり、カフェハネが社交の場として浸透するとコーヒーも市民権を得ていきました。
こうした文化的・歴史的価値が評価され、2013年に「トルココーヒーの文化と伝統」がユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。
エチオピアのコーヒーセレモニー
エチオピアのコーヒーセレモニーは特別な儀式で、家族や友人との絆を深める大切な役割を果たしています。
このセレモニーでは、コーヒー豆を焙煎するところから始まり、豆を挽いてジェベナ(ジャバナ)と呼ばれるポットで煮出し、カップに注いで振る舞います。3杯飲むのが正式な作法とされ、ゆったりと談笑しながら行われる儀式です。
このセレモニーは、2時間以上かかることも。「3杯飲む」というルールのほか、部屋を装飾する、煎った豆の香りを参加者で楽しむなど、コーヒーを通じて時間を共有することが大切にされます。こうした思想・理念は、日本の茶道に通ずるものを感じます。
古い文献で確認できていないことや歴史背景を考慮すると、20世紀に生まれた新しい伝統である可能性も指摘されています。しかしながら、エチオピア独自のコーヒー文化であることは間違いありません。
- 部屋に花や合う草を敷いて香をたく
- 炉にかけた鉄鍋で生豆を煎る
- 煎りたての豆を客に回して香りを愉しむ
- 豆を臼と杵で粉状態にする
- ジェベナと呼ばれるポットでコーヒーの粉をに出す
- 沸騰したらカップに注ぎ振る舞う
- ポップコーンなどをおやつにしながら、3杯飲む
【関連記事】エチオピア産コーヒー豆の特徴|香り高くフルーティー
「喫茶店」という独自の文化を形成した日本
日本におけるコーヒー文化は、18世紀初めの江戸時代中期にさかのぼります。オランダ商人を通じて出島にコーヒーが持ち込まれたことが、その始まりとされています。
1804年、太田南畝(蜀山人)がコーヒーについて「焦げくさくて味ふるに堪ず(=焦げ臭くておいしくない)」と書き残しており、日本でのコーヒーの初期の印象を物語っています。
そんなスタートを切った日本でのコーヒーですが、他国には見られない「喫茶店」という特徴的な文化を築いていきます。
日本の喫茶店は、社交の場としての意味合いが強いコーヒーハウスとは異なり、個人の憩いの空間としての意味合いを強く持っています。丁寧なハンドドリップ、豆へのこだわり、焙煎技術の追求など、コーヒーの品質を高めていきました。
現代につながる日本のコーヒー文化は、1911年に銀座に開業した「カフェーパウリスタ」に始まります。1杯5銭という手頃な価格で庶民にも愛されたほか、芥川龍之介や平塚らいてうなどの文学者たちが集う文化的な場所としても知られています。
銀座の日本初のコーヒーチェーンとして全国に20店舗を展開します。関東大震災(1923年)により銀座店が倒壊し、全国の店舗も独立営業となります。しかしその後、1970年に銀座に「カフェーパウリスタ」が復活。現存する日本最古の喫茶店として、ファンから親しまれています。
独自の喫茶店文化によって抽出技術を磨いてきた日本から、世界的に評価の高いドリッパー「ハリオV60」が生まれました。これは、必然と言えるのかもしれません。
コーヒー産業が抱える課題
生活や文化に深く根付き、多くの人々に愛されているコーヒー。しかし、産業としてはいくつかの大きな問題に直面しているのも事実です。
その中でも、不安定な取引価格、環境問題、そしてサステナビリティ(持続可能性)については、私たち消費者も向き合わなければならない、とても重要な問題です。
【関連記事】サステナブルコーヒーとは?エシカル消費で持続可能なコーヒー産業へ
不安定な取引価格に対抗するフェアトレードの推進
世界市場でのコーヒー価格は、需給バランスや政治的な要因で大きく変動します。その影響を受け、生産農家の収入は不安定になってしまいます。特に小規模農家には影響が大きく、生活に窮する場合も少なくありません。
国際フェアトレード認証は、生産者に公正な取引価格を保証するだけでなく、生活の改善も目指すもの。認証のないコーヒーに比べ安価ではないかもしれませんが、たとえ世界的に取引価格が暴落しても、農家の生活を保障することができる仕組みを整えています。
環境保全と持続可能なコーヒー栽培
従来のコーヒー栽培は森林伐採や化学肥料の使用により、環境に悪影響を与えることがあります。こうした影響を最低限に抑えていくため、各種認証制度が設けられています。
レインフォレスト・アライアンス認証
持続可能な農法、そして生物多様性の保護を重視した認証制度です。認証された農園では、自然環境を尊重しながらコーヒーを栽培しています。森林伐採の防止や土壌・水質保護など、環境に優しい方法での生産が求められます。
バードフレンドリー認証
特に鳥類の生息地を保護することに焦点を当てた認証制度です。コーヒーの栽培が鳥や他の野生生物に与える影響を最小限に抑えるため、森林の中やそれに近い環境での栽培が推奨されます。
持続可能な産業への転換と消費者の責任
フェアトレードの推進や自然環境の保全等、供給サイドがコーヒー産業の持続可能性を意識していくことは重要です。しかしそれだけでは不十分であり、消費者自身が意識を変えていくことも重要です。SDGsの目標12「つかう責任」は、消費者がより倫理的な選択をする責務があることを表しています。
フェアトレード認証やフォレスト・アライアンス認証は、労働者の権利(健康や安全、家族)を尊重し、児童労働の排除を促すことも大きな目的のひとつです。生産者だけでなく、私たち消費者もコーヒー産業の一角を担う存在。そのことをしっかりと認識し、商品を選ぶ責任を果たす必要があります。
【関連記事】サステナブルコーヒーとは?エシカル消費で持続可能なコーヒー産業へ
まとめ
この記事では、コーヒーの豊かな歴史と文化的な意味を探りました。エチオピアの伝説から始まり、今日の多様なコーヒーカルチャーへと発展したこの飲み物は、私たちの日常生活に深く根付いています。
次にコーヒーを飲む時、その1杯の背後にはさまざまな物語があることを思い出してみてください。歴史や文化に思いを馳せることで、さらに豊なコーヒー体験を楽しむことができるはずです。
参考サイト・参考書籍等
- 『珈琲の世界史』(旦部幸博著、講談社)
- 『ビジュアル スペシャルティコーヒー大事典 2nd Edition』 (日経ナショナルジオグラフィック社)
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